小さくともキラリと光る国(OGC-15)

 一人の人間、一つの国家は、過去の栄光を引き摺ってしまうものだ。昭和終盤の勢いのあった日本を経験している世代は、いまも国力を過大評価しがちであり、大国的役割をいまの日本にも求めてしまう。理想や野心をもつことは人間や国家が成長する上で必要なことだろうが、あくまでも、その程度が大切である。むしろ、いまの日本に求められている役回りが何かを見極め、小さくともいいので、具体的な国際貢献を追求したほうがよい。

 そういえば、三十年くらい前に、日本は「小さくともキラリと光る国」になればよいと述べた政治家がいた。当時は「小さくとも」とはなにごとかと鼻息荒く反論する者もいたが、いまはそこを争っても仕方ない。むしろ、21世紀の国際関係パワーゲームの狭間で、やれることが限られている小さな国が、それでもやるべきことをしっかりやって存在感を示そうとする上では分かりやすいネーミングである。

 実際のところ、日本が国際社会に貢献できる分野はまだまだ幾つも残っていると思う。軍事面での紛争解決など日本の役割が期待できない分野もあるが、日本がイニシアティブをとれる地球規模の課題は山積しているからだ。例えば、自由貿易体制の維持・強化、気候変動などの地球環境問題、保健・感染症対策、食糧・貧困問題、軍縮、防災などである。これらの分野は、すべての国が同じ方向をみて一致団結しなければ改善されない難しい問題ばかりである。

 そして、国のかたち、国の在り方を考えると、日本こそが、国際協調主義を強調して、これら分野で国際世論をリードする資格と責任を有する国であると私は信じている。日本は、自由貿易の恩恵を受けて戦後復興を成し遂げた国。「人間の安全保障」という概念を歴史的、文化的に体現してきた国。そして、唯一の被爆国。大地震、津波、台風、大雨など破滅的な自然災害を幾度も経験した国だからである。

 また、少し切り口が異なるが、日本が存在感を示すチャンスとなり得る分野として、超高齢化社会の処方箋を世界に提示するということがあるかと思う。日本は、半世紀前、65歳以上が全人口の6-7%にすぎなかったのに、2050年頃には40%にまで上がるという超高齢化に直面している。先進国の多くも似たり寄ったりの傾向にはあるが、日本が高齢化社会の「トップランナー」であるというのは間違いない。したがって、この人口構成が変化する中でも、社会をいかに安定させ、経済をいかに安定させることが日本にはできるのかということを世界は冷静にみているのだ。

 健全な社会保障制度の再構築(若い世代に過重な負担をかけずに、必要な高齢者は手厚いケアを受けられる社会)、脱シルバーデモクラシー(高齢者が優遇されすぎる政治からの脱却)、高齢人材の活躍(農業などの一次産業、観光業などの三次産業の裾野拡大)、外国人材の活躍、女性の活躍などで、日本が成熟国としての安定モデルを世界に示すことができるよう、政治のイニシアティブを期待したい。

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