沖縄(OGC-17)

 沖縄に移り住んで5年近くが経つ。もともとは、前職(外務省)の職員としての転勤で来たので、自主的ではなかったけれど、その仕事を辞めてもそのまま沖縄に残り、この地で新しい仕事を始めたので、その意味では、自らの意思で、沖縄で生活することを決めたということになる。生き方をみつめ直し、再出発する場として沖縄が最適だと考えたし、その決断は間違っていないと思っているので、今回は沖縄についても少し書いておきたい。

 沖縄は絶好の思索の場であると考えている。元官僚の私がこのように書くと、東アジア情勢、安全保障環境、貿易投資、観光業などを連想されるかもしれない。しかし、沖縄をみつめる私の真意は他にある。歴史、文化、自然、社会の成り立ちを勉強し、この地に住む人々の心の在り様に触れるなど、この地に身を置くことが、日本社会のありかた、日本人の心の持ちかたを深慮する上で大いに参考になるということである。

 例えば、象徴的な存在として、「御嶽」(うたき)のことを取り上げたい。芸術家の岡本太郎氏が著書『沖縄文化論』で、以下のように書いている。

「御嶽、つまり神の降る聖所である。この神聖な地域は、礼拝所も建っていなければ、神体も偶像も何もない。森の中のちょっとした、何でもない空地。そこに、うっかりすると見過ごしてしまう粗末な小さい四角の切石が置いてあるだけ。その何にもないということの素晴らしさに私は驚嘆する。御嶽の清潔さ、純粋さ。神はこのようになんにもない場所におりて来て、透明な空気の中で人間と向かい合うのだ。」

「こんな、なんのひっかかりようもない御嶽が、ピンと肉体的に迫ってくる。こちらの側に、何か触発されるものがあるからだ。日本人の血の中、伝統の中に、このなんにもない浄らかさに対する共感が生きているのだ。この御嶽に来て、ハッと不意をつかれたようにそれに気がつく。そしてそれは言いようのない激しさをもったノスタルジアである。」

 岡本氏は、御嶽こそ日本文化の純粋で強烈な原点だと強調したかったのだと思う。装飾も形式も何もない素っ裸の美しさ、凄みを沖縄はまだ残しており、そのような本物を目の当たりにすると、日本人、あるいは人間としての生き方の問題を考えざるをえない。

 また、沖縄には温かく包容力がある人たちが多い。これも、風土、歴史が関係しているのだろう。本土と較べて、沖縄社会のほうが、自然・歴史への畏怖、敬意、謙虚さ、多様性・調和の尊重という、この国本来の価値観を残していると思う。人間と自然の関係、人間と歴史の関係を考える絶好の場が沖縄なのだ。これこそ沖縄の誇るべきことであり、日本のその他の値域が沖縄に近づくべきと考える所以である。

 私は、前回、大転換期を迎える現代史において、日本が世界に新しい価値観を付与することにこそ、世界にとっても、日本にとっても、その中に住む日本人にとっても意味のあることだ、日本こそが、豊かさという価値観の再構築にあたり、世界をリードする国でありたいと書いた。近現代の、おもに西洋において常識視されてきた価値観を見直すというプロセスにおいて日本が付加価値を与えることができるならば、日本人自身が古き良き日本を取り戻すことが出発点であり、その観点から、日本の原点を残す沖縄を意識することが大切になってくる。

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