前回、私は、悲観的な現状認識が広まるなかでも、価値観を再構築する意識さえ持てば、日本の将来を前向きに捉えることができると書いた。つまり、「豊かさ」に関する価値観をリセットして、量的拡大を追い求めるかわりに、質的な豊かさを重視すればよいのである。
その際、日本の一人あたりGDPが世界27位(2022年)に下落したことを嘆くのではなく、例えば、いま注目されている幸福度ランキングの上位を目指せばよいではないかとも書いた。しかし、ここで注目すべきは、この種のランキングで最も有名なSDSN(国連設立の非営利団体)の最新の順位(2022年)では、日本は54位であるということである。
世界中の様々な国に住んできた私の実感としては、この順位には少々驚きだ。日本に戻ってくると「この国は住みやすいし、安全だし、自分のまわりの人たちは総じて幸せそうに生きているではないか」と思ってしまう。それでも、このSDSNの評価の内容を調べると、なるほど、そういうことであれば日本は低い順位になってしまうねと納得してしまう。つまり、幸福度を測るにあたって、GDP、健康寿命、社会的支援、社会的自由、寛容さ、ディストピア(人生評価)などの複数の基準が点数化されているのだ。GDP、健康寿命でいえば、日本はもっと上位にランクされるだろうが、社会的支援、社会的自由、寛容さ、人生評価の点数は低く、その結果として54位なのである。
もちろんGDPのような経済指標と異なり、幸福度を構成する基準の多くは客観的に計測しにくい概念であるので、この幸福度それ自体を議論し続ける必要はある。こういったランキングの上下に関し、過度に一喜一憂する必要はない。しかしそれでも、私たちが質的な豊かさということを真剣に考えるのであれば、これは真摯に受け止めなければならない現実なのである。
いま、この国に足りないことは、「人」中心の考え方で「豊かさ」を考えるということだ。20世紀は「国」中心の考え方で、「富国強兵」のために国民全体のエネルギーを注ぐ色合いが濃かった。そこでは、経済成長、国家安全保障が何より重要であった。そしていま、時代の変化に合わせて、この考えをバージョンアップすることが求められている。
国が量的に拡大することだけが豊かになることではない。その国に住む一人一人の「人」が心豊かな生活を送るために、この国はどのような形になればよいのかを考えていかなければならない。国土も人口も限られている我が国は、しかしその尊い歴史と文化と国民性を背景に、身の丈にあった豊かな国になることを目指せばよいのではないか。「国家安全保障」から「人間の安全保障」に、「国の成長社会」から「誰一人取り残されない社会」へのシフトである。
そして、「人」中心の社会では、「人」を作るための教育がことさら重要だ。多様性・創造性の尊重、夢・希望・将来が見える社会、個々人が活躍できる社会にするために、教育の重要性は強調してもし過ぎることはないだろう。