日本が、政治、経済、外交など様々な面で、厳しい状況に置かれており、そして世界のなかで存在感が減退しているということについて前回書いた。悲観的なことばかり書いても何も生まれないので、それでは将来に向かってどのように進むべきかということも後々書いていきたいが、もう少しだけ悲観論に付き合ってもらいたい。今回は、私がより本質的に危惧している3つの点を「今そこにある危機」として具体的に考えていく。
1つ目は、超高齢化社会、社会保障システム破綻の危機である。
日本の人口減と高齢化が進んでいることは周知だが、2050年を過ぎる頃には人口が1億人を割るとの予測がある。人口減じたい経済的にはマイナスではあるものの社会的にはよいこともあると前向きに考える者もあるが、問題は、その1億人の中身である。その頃には、65歳以上が38%にもなるとの試算があり、異次元の高齢化社会となっていることのほうにむしろ目を向けなければならない。日本は、いまから半世紀以上前の1966年に人口1億人を突破した(その後も2008年の1.28億人まで人口成長を続けた)。1966年の65歳以上は7%弱であったので、同じ1億人でも意味内容が全く異なるのである。社会保障費の膨張は止まらず毎年約1兆円ずつ増加していくだけでなく、政治、経済、社会のダイナミズムの低下は避けられない。
2つ目は、将来世代への負担送り、財政破綻の危機である。
いま述べた社会保障費に加えて、今後の防衛費倍増、そして景気刺激のための安易な財政政策によって、日本の累積財政赤字の膨張はとどまることを知らない。地方財政とあわせて1500兆円もの累積赤字が積み上がっており、GDP比で250%もの借金を抱えていることになる。このような異常な国は世界中見渡してもほとんど例がない。財政破綻がいつどのような形でやってくるのかは予測が難しいが、少なくとも将来世代へのツケ回しで、健全な政策運営は難しくなっており、この国の明るい未来像も描きにくくなる。
このようななかで、3つ目の危機である。それは、社会的意欲減退の危機とも言えよう。
日ごろ若い世代に目を向けることが多く、実際に中高生とのやりとりもするなかで、若者の挑戦心が弱まっている。いや、挑戦心が低くなっているのは若者だけではなく、働く世代含めたどの世代でもそうなのかもしれない。いま、私たちが住むこの国は、「欲なし、夢なし、やる気なし」の低欲社会となっている。
昔より経済力がなくなったとはいえ、日本人は、世界基準でいえば、そこそこ幸せに生活できているのは事実だ。第三世界で貧困や飢餓や内戦に苦しむ人々に較べれば生活はずっと安定している。夜中ひとりで出歩いても、襲われたり、銃で脅かされたりすることもないので、欧米よりも安心して生活できるかもしれない。また、たえず国家から監視されることもない。このように、落ちぶれている国であっても幸福な国民がたしかに、ここには存在するのだ。ただ、この奇妙な安心感、安定感、「ぬるま湯」社会が、国民(とくに若者)から挑戦心を削ぎ取っていないだろうか。能力も環境も整っているのに、国際社会、競争社会にチャレンジする気概がない若者が増えているのは大変気掛かりだ。
結局、国の未来を良くも悪くも決めていくのは、そこに住む国民の個々の力である。その意味で、この低欲社会化というのが最も大きな心配の種であると考えている。