価値観の相対性-資本主義(OGC-6)

 昨今、資本主義円熟期の暗い側面について焦点が当てられることが多くなっている。経済的不公正の問題にとどまらず、気候変動、度重なる自然災害と疫病流行、核兵器戦争の危険性、軍拡、技術的破壊などの地球規模課題に対して、資本主義システムは有効な解決策を内在していないとの主張である。

 だからといって公平性、気候正義、あるいは人間性などの理念を振りかざすだけでは、この巨大なシステムは変わらない。むしろ、私は、システムが円熟したがゆえに顕在化する自己矛盾への対処という動きが進行することを期待している。市場メカニズムにおいて「神の見えざる手」が価格と供給量の均衡点を決めるように、このシステムが自律的に変化するということだ。

 具体的にお話ししよう。

 私が教育業界に身を転じて痛感しているのは、教育サービスは市場経済における「商品価値」を一部で失っているという現象である。これまでは、高等教育はその対価を支払うことのできる層向けの商品であった。良い教育を受けるためには高額な入学料、授業料が必要であり、現実的に、先進国の経済的に恵まれている家庭の出身でなければ、なかなか一流大学の門をくぐることができなかった。しかし今や、世界中に広がったテレビ会議システムのおかげで状況は変化している。アフリカのサヘル、ヒマラヤの山岳地域に住む青年でも、Zoomを通じて、ハーバード大学の著名教授の講義を無料聴講できる時代となっている。このこと自体、地理的、経済的に不利な状況に置かれていた人々にも教育機会が広がるという意味ではとても望ましい。

 ここで私が述べたいことは、「商品価値」の低減が、ほとんどのサービス分野でみられるということだ。さらに、世界中どこにいても、高度なIoT網に3Dプリンターを繋ぐだけで廉価で欲しいものが手に入る時代も到来しつつあるので、ほとんどのモノについても稀少性は低下し、その結果として「商品価値」が低減している。私たちがいま生きている時代は、情報技術革命によって生産性が高まり、誰でも何処でも何でも生産、入手が容易な世界となっているのだ。

 経済学の授業で、モノやサービスを一単位生み出すための追加的なコストを「限界費用」と習ったが、この限界費用がゼロに限りなく近づく。そして、資本主義システムの肝ともいうべき利潤が生みだされにくくなる。こうして、資本主義システムの自己修正が進む。

 もちろん、今後数年以内に資本主義システムが瓦解するということは考えにくい。予想されるのは、資本主義システムの一部を侵食するように、徐々に多くの分野で人々が水平的、共存的に緩やかにつながる社会協働システムが広がっていく社会のあり方だ。

 そして明るい希望の光がみえる。

 私が日常的に触れ合っている若者世代の意識のことだ。彼らの社会へのまなざしは、昭和に生まれた世代のそれとは明らかに異なる。彼ら若い世代は、物質主義、消費主義に心理的距離を置いている。彼らは所有、競争より、共有、共感を大切にしている。彼らの思考の枠組み、行動原理には、資本主義システムは相対的なものでしかないように私にはみえる。

関連投稿

検索語を上に入力し、 Enter キーを押して検索します。キャンセルするには ESC を押してください。

トップに戻る