個々が輝く社会を目指して(OGC-16)

 過去15回にわたり、現状分析を行った上で、世界、そして日本の進む方向について書いてきたが、今回はこれまでの締め括りだ。なお次回は、私が移り住むことになった沖縄について書く予定で、次々回から、私たちはどのように生きるべきかという最後のパートに移りたい。

 このシリーズでは、現在、人類史が重要な局面に差し掛かっているという内容で書き始めた。歴史とは常に激動にみえるものなのかもしれないが、少なくとも、人口、エネルギー消費量、食料生産量、二酸化炭素排出量などの推移グラフを眺めるだけでも、現在がいかに異常な時代であるかがわかる。量的な意味だけではない。質的な変化も進行中だ。情報技術革命によって、知的作業をAIが行い、新しい情報や技術がIoTで瞬時に伝播されるようになった。こういう世の中を作ったのは私たち人類だが、皮肉にも、そのことによって、支配・被支配システムの主役の座から降ろされようとしている。人間社会を大規模に破壊するものとして、伝統的に戦争や疫病があったが、いまや、人間疎外という形で私たちの存在そのものの真意が問われている。

 ここで視野を狭めて、現実の日本社会を考えてみよう。

 日本経済はいま相対的に停滞している。一人あたり労働生産性は、約50ドル/時で先進国のなかでは最下位のクラスだ。人口も他の先進国に先立って激減している。生産性が低く人口も減れば、その積であるGDPも当然低下する。この状況を反転させて停滞から抜け出すためには、既存のシステムをちょっといじるだけでは中途半端だ。オールドエコノミーが退陣し、スタートアップがどんどん生まれるようなパラダイムシフトが起こらなければならない。

 政治もそうだ。社会の制度疲労、経年劣化にメスを入れるためには、若者の政治参画、若いリーダーたちの出現がもっと必要である。

 芸術もそうだ。調査研究もそうだ。あらゆる分野で、若い才能が必要であり、それゆえに教育の意義が強調されてされすぎることはないのである。

 ところが、その若い世代を中心に、日本社会に無気力感が漂うのが心配だ。気候変動など地球規模課題、そして人間疎外という、私たちの存在そのものを脅かす危機に対して、他の国々と較べて、危機感があまりにも薄い。この無気力と危機感の薄さは、若い世代の責任ではなく、将来への希望をもてない社会を作った前の世代が反省すべき重大な問題である。

 今からでも遅くない。私たち日本人が指向すべきは、一人ひとりが将来への希望をもてる社会をつくることだ。個人の自由や希望を制限するような、外形的な基準、数値、価値観などを画一的に押し付けず、多様性が尊重され、それぞれが輝く相対主義的な社会を目指す。生の営みが平穏に続くような持続可能性のある社会を目指す。そういう社会であれば、一人ひとりが望む方向に生きようと気力をもつことができる豊かな社会になるだろう。

 つまり、経済回復、国力復活が、この国の究極の目標ではない。仮に大国になっても、「第二のアメリカ」になるだけでは、世界史的な意義は小さい。また、大国化しても、ごく一部の人々を除いて、日本人の心の豊かさが増すわけではない。大転換期を迎える現代史において、日本が世界に新しい価値観を付与することにこそ、世界にとっても、日本にとっても、その中に住む日本人にとっても意味のあることではないだろうか。日本こそが、豊かさという価値観の再構築にあたり、世界をリードする国でありたい。それができるはずだ。

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